Happy Birth Day
松島聡くん、17歳のお誕生日おめでとう。
私が聡ちゃん担を名乗る決意をしたのは、8月30日でした。あれから3ヶ月。
聡ちゃんの担当の方やセクゾ担の方をフォローさせて頂いて、TLを覗くのが楽しくて楽しくて。活動に関して色々と思うことはたくさんありますが、一緒にかっこいいかわいいってなれる場所があって幸せだなと素直に思ってます。
誕生日に書くのもあれですが、私が担当を名乗るまでを振り返ってみようと思います。
聡ちゃんとの出会いは、既にセクゾに興味のあった姉がリアタイをするためにテレビを少クラに変えた所から始まります。
その時はすでにSexy Zoneはデビューしていて(その時の私の印象は最年少デビューなんだ、ハーフいるんだ、あ、ドラマで見たことある人いるな、くらいでした)、ジャニーズに興味が全くなかった私としては、仕方なく見る程度の気持ちでした。
ちゃんと見た印象があるのは、レディダイのメイキングです。しかしその時に注目してたのは、初めての担当となる岸くんで、聡ちゃんは、カメラ撮り頑張ってるな、でもちょっと緊張してるのかな、くらいでした。
そして人生初のコンサート、新春コンサートに行くことになり、岸くんかっこいいな!しーすりー最高!と盛り上がる中、1つ出来事がありまして。
ちょっとしたタイミングで聡ちゃんからバーンをされたのです。これが人生初ファンサでして。とっても嬉しくてずっと心に残ってました。
それからジャニーズワールドの感謝祭に行き、ジュニアと同じ上のステージにいる聡マリから目が離せなくなりました。なんで?という思いが他担ながら出てきていました。
そうしているうちに、セクゾの中では聡ちゃん!と自分の中で推しがいつのまにか決まっていました。
ジャパンツアーでは聡ちゃんの団扇とフォトを買って(人生初の顔団扇)、もちろん担当であった岸くんを見てました。
8月のしょりさんお台場イベントに行き、少クラをみたり、と岸くんとたまに聡ちゃんを見る事が当たり前になりました。後は聡ちゃんのファンとしてセクゾのFCに入ったり。
聡ちゃんの誕生日に、画像まで作ってツイートしたのをおぼえています。
トニトニでは聡マリが出たタイミングで観に行ってない自分を悔やんでました(笑)
と、こんな感じで2013年は過ぎていき、、自分の中ではまったく担当になる気配なんてなく、聡ちゃんは特別枠というくくりに入っていました。
そして今年。ちょうど状況的におたく活動を少くしていこうと思っていて、雑誌も要らない!と言い始めたり、発売されたらすぐに買いたい!と言っていた写真もすぐには買わなくなりました。というのも、ダンスを頑張ろうとしていて、今年の春コンも1度しか入らず、しかもそのあとダッシュでダンスレッスンに戻るというハードなことをしていました(笑)この時も基本岸くんのことをみていて、いないときに聡ちゃんをみるくらいでした。
セクチャンも姉と一緒に見て、聡ちゃんの発言、行動がいちいち可愛くて放送を楽しみにしていました。
少し変わり始めたのは、3人でCDを出すと決まった時。自分はジュニア担でありながらもかなりショックを受けて、自分が思っていたよりも5人のSexyZoneが好きだということに気が付きました。そしてもう自分の好きなセクゾは終わったのかと思いました。
そこで読んだのが、聡ちゃんの薔薇色の日記。
「どんなに、今
辛いこととかがあろうとも、僕は前向き
に考えて、必死に頑張ります!」
読んでいて涙が出ました。聡ちゃんの強さにただただ感動するばかりで、苦しくなって。彼が一番辛いはずなのに自分をみて元気をだしてくださいってこんなことまで言えるんだ、と。
それから聡ちゃんについて色々を思うようになりましたが、呟くことはしませんでした。岸くんの担当であるのに、違う人についてうだうだと書くことに抵抗があったからです。
夏コンが決まり、「もしかしたら近キョリの撮影で岸くんがいないかもしれない。その時には聡ちゃんを見て聡ちゃんのレポをしたい。」という思いも相まって、7月に聡ちゃんアカウントを作ることになりました。
聡くんが頑張るっていってるなら、応援してくださいっていってるなら応援したいと、決心したわけで、ちゃんと言葉にする場を作ろうと思いました
— むん (@mt_smsm) 2014, 7月 16
「どんなに、今辛いこととかがあろうとも、僕は前向きに考えて、必死に頑張ります!」って。なんでこんな決意を16歳がしなくちゃいけないんだろう。
— むん (@mt_smsm) 2014, 7月 17
夏コンには岸くんもいて、たまたま客席登場のところと座席がかぶって(お姉ありがとう!)、すんごい近さで同じ高さで岸くんを見れて、肌白いかっこいい!!!となったのですが、それだけで楽しく終われないコンサートでした。
自分は3部だけいったのですが、まず姉と合流したときに一言「内容は本当にやばいよ。」と言われ、コンサートなのに表情が暗く、あぁこれは覚悟しないとだな、と思って入りました。
案の定、今までの気持ちとか思いをえぐられるような、そんなコンサートでした。メンバーのはずなのに、スポットが当たらない。上のステージに乗れない。一緒に歌えない。
言葉でなく視覚的に訴えかけてきてるように感じて。こんなにも残酷なのかと涙が止まりませんでした。
それでも一生懸命に踊って、笑顔で。そんな聡ちゃんの姿が忘れられません。
上がっていくステージには乗れない二人が前に来て、この差ってなんなんだろう、何がいけないんだろう、どうしたら光が当たるんだろうって考えてしまった
— むん (@mt_smsm) 2014, 7月 23
そして岸くんが出るかもと思って入った勝利さんソロコン2部。番号が後ろだったために、空いている後方で見ていて。ぱっと後ろを振り返ったら、聡ちゃん、健人さん、マリちゃんが見えて。なんだかすごく嬉しくて。男ネバギバも口ずさみながら振りをやってる聡マリの姿もみて。アンコのスキすぎてで聡マリ出てきたときの歓声が一番すごくて、涙ぐんでる人もいて、自分もうるっときて。ソロコンの中で一番うれしい、感動した瞬間でした。そして衝動的に聡ちゃんの姿を双眼鏡で追っていました。
不覚にもスキすぎて楽しそうに踊る聡ちゃんを双眼鏡でおってしまったよ、、、、、
— むん (@mt_smsm) 2014, 7月 29
でも、本当に嬉しくて、あの場が、大人に邪魔されずに、彼ららしく、楽しめてて。自然と涙がでてきた
— むん (@mt_smsm) 2014, 7月 29
そしてせっかく取ったからということで一度だけ入ることにしたガムシャラ夏祭り。作ったらおしまいだと何度も思っていたそうちゃん団扇を作り、入りました。本当に楽しかった。聡ちゃんがライト当たってキラキラしててダンスも歌も見せ場がたくさんあって。自分はいつもコンサートとか客観的に見れているタイプだったのですが、聡ちゃんのパフォーマンスに圧倒されて、声が出なくて。
久しぶりにセトリとか全然覚えられないくらいに聡ちゃん追うのに必死でみてるだけで精一杯で言葉も発せられなかった
— むん (@mt_smsm) 2014, 7月 31
それからもう一回みたいっていう思いがわいてきて。でも担当がいない現場を増やすなんて信じられないと思いながらも、でも見たい、あの聡ちゃんをみたい、と思いが増していき、ついに一度だけと決めていた夏祭りを、ここで私は追加したのであります…(人生初)。今思うと本当におかしな話ですが、お金をおろしながら姉に「やっぱ行きたい」って電話してました(笑)もうこの時には後には戻れない状況まできていました。
聡ちゃんの楽しそうなきらっきらの笑顔と最高のパフォーマンスとまっすぐ空まで届くような声を見ることができて、聴くことができて、本当に嬉しかった!!!!ありがとうございました!!!!!
— むん (@mt_smsm) 2014, 8月 8
そしてFC更新を決意(笑)
やっぱりFC更新しようと思う、松島聡のファンであることを残しておくためにも。
— むん (@mt_smsm) 2014, 8月 8
なんでだろうどうしてだろうって疑問と不安が大きかった埼玉だったけど、ガムシャラは間違いなくそんな疑問や不安のない、みんなが一生懸命に頑張っててキラキラ輝いててそれを素直に応援したいって思える場所だったなぁって思った。本当はそれだけで十分なんだよなって実感した。
— むん (@mt_smsm) 2014, 8月 9
この時期から、確実にこのアカウントのほうが呟きが多くなっていきました。担降りという言葉がうっすら出てきたのですが、でもまだ決めきれなくて。まさか自分が担降りするなんて信じたくなかったし、岸くん垢のフォロワーさん達がとても素敵な人ばかりでとてもお世話になってて、居心地のいい場所だったので、そこからお別れするのも嫌だったんです。
でも自分がこれをしたらおしまいだなとずーっと思っていた、アカウント作成、団扇作り、写真購入、双眼鏡で追う、、そして自担のいない公演の追加までしてしまった。こんなことをまさか自分がするなんて思ってもなかったのに、一瞬グッと心を持っていかれてからのここまでのスピードが尋常じゃなくって。それまで散々おたく活動少なくするってお姉にも言ってたし、それまでどんなにかわいいと思っても写真も一切買わなかったのに。こんなことするなんて自分おかしい、どうかしてる、とどこかで感じながらもでもこの衝動的に自分が行動している事にこの状況にわくわくと楽しさも感じていたんです。今までの自分の定義を覆してしまうほどの出来事。あれこれ考えてる暇なんてない、ただ見たい、欲しい、好きという思いだけ。まさしく「転げ落ちるみたいに~加速して~♪」で。自分のなかでの劇的な変化に驚きつつも、うれしく、楽しくて。
ここまでして逆に岸くん担は名乗れないだろうと思ってました。それでも勇気はでず…
セクゾメールからの8月30日の別収録の少クラの番協案内に姉に背中を押され一人で行く決意をし、当選し、人生初番協をすることになりました。練習や本番の近くの人に誰担ですか?と聞かれ、とっさに口から出てきたのが、「聡くん担です」という一言でした。あれこれ考える前に聡くん担と名乗ってしまったけど、きっとこれが本心なんだろうな、と思いました。そしてついったーでも宣言をしました。あとは人生初ハイタッチもこの日……(これは心臓ばっくばくでした)。
改めて松島聡担を名乗る事を決意しました…!!!!みなさん改めてよろしくお願い致します(>_<)
— むん (@mt_smsm) 2014, 8月 30
岸くんを嫌いになったわけではありませんでした。というか、岸くん担当じゃなくなるときはおたくやめてる!と決めていたくらいです。なんでこうなったのか。
自分が岸くんの見たい姿を未来ではなく過去に求めてしまったからだと思いました。今の岸くんの環境、括り、ダンス、発言、いつのまにか自分の中で見ているだけでよかったのに、一定のもの以上を求めて、自分が違うと思ったら見ない振りをしていたと思います。そのままの岸くんで十分素敵なのに、かっこいいのに!
自分の言葉で岸くんについて呟くことが難しくなっていって、一応岸くんのこと呟いておかなきゃなんて思ってしまったことも、とても申し訳なく感じました。
今担当から離れてみて、あの時よりも素直に岸くんを受け入れられているように思います。岸くんならスターになれると今でも思っています!
改めて担当ってどういうことなのかと今回の担降りを経験して考えると、その人の未来を見ていきたい。この先どんな未来が待っているのか、その人自身を見ていきたい、見るたびに、その一瞬一瞬に好きという思いがどんどん更新されていくならば担当になるのではないか、と思いました。
こうやって振り返ると、人生初のおたくイベントはほぼ聡ちゃんなんです。それがなんだかおかしくて。(笑)
こうして担当と勝手に名乗って勝手に応援できることにただただ喜びを感じています。こんなにもまっすぐで一生懸命で優しくて強くておちゃめで。きっとどの16歳よりも多くのものを背負ってきたと思う。本当なら抱えなくていいものもいっぱい抱えて、いっぱい背負って。それでも笑顔で頑張ると言える彼の強さ。もう十分頑張っているのにな、と思う。そう言うしかない、そう言わざるを得ない状況だよな、とも思う。
どんな状況でもいつも笑顔をくれて本当にありがとう。ここまできてくれて本当にありがとう。
だからこそ、17歳の一年は今までやってきたことが光り輝く一年になることを願っています。
華のセブンティーン!!!ますます最強になるであろう松島聡くんの活躍が本当に楽しみでしかないです。
聡ちゃんの進み続ける道に明るい未来が待っていると信じて、勝手ながらにその先の未来を見続けていきたいと思います。
改めて、松島聡くん、17歳のお誕生日おめでとう!!!!